
鹿見喜陌画伯との
変わらぬ友情の証として。
昭和58年(1983)、木下宗昭は琵琶湖のマリーナで鹿見喜陌氏と出会い、
以後ヨットや車などの趣味を通じて親交を深めていく中で、鹿見氏が日本画家であることを知るに至ります。日本画を革新しようとする鹿見氏の姿勢は、常に挑戦を続ける木下の信条と重なり、二人はより深く共鳴し合うようになりました。新たな表現を追求する鹿見の熱い思いを木下は作品を通じて感じ取り、鹿見氏は自身の作品に対する審美眼を通して木下の創造性を看取する−作品を通じて双方の感性が響き合うような友人関係が紡がれていきました。「君の美術館を建てよう」。木下は鹿見にそう約束し、ここ北白川の地を共に歩いて構想を語り合いました。しかし、その10日後、鹿見氏は突然この世を去るのです。その6年後、ようやく果たされた「男と男の約束」。ここ清宗記念館は、木下が鹿見氏に捧げる友情の証であり、鹿見喜陌という唯一無二の才能とその挑戦の意思を受け継ぐ場所として在り続けます。
日本画家 鹿見 喜陌 略歴
1948年 | 広島県生まれ |
1972年 | 金沢美術工芸大学美術学部日本画科卒業後、 堂本印象に師事 |
1994年 | 文化庁芸術家在外研修員として イタリア・アッシジにてサンフランチェスコ聖堂の シモーネ・マルティーニ作「五聖人」を模写 |
1996年 | 日展審査員となる |
1997年 | イタリア・アッシジにてサンフランチェスコ聖堂の ピエトロ・ロレンツェッティ作「夕陽の聖母」を模写 |
2000年 | 京都清水寺成就院襖絵 「随息界 四季」を制作完成 |
2005年 | 京都迎賓館の完成にともない「麗花」を納品・発表 |
2006年 | 「秋」が内閣総理大臣官邸に展示 |
2018年 | 「春」が内閣総理大臣官邸に展示 同年逝去 |

金沢市立美術工芸大学日本画科に在学していた当時の鹿見氏。当時は人間の内面と向き合うような哲学的な画風であった。同大学在学中に日展初入選を果たす。

文化庁芸術家在外研修員としてイタリアに滞在し、聖堂内に足場を組みイーゼルに向かう様子。

鹿見氏が制作した京都清水寺成就院の襖絵の前で木下宗昭と共に。